2014年8/24(日)
小学校低学年までにできること
小学校低学年の子を見させていただくたびに思うことがあります。それは、「この子は将来こうなっていくだろうな。」ということです。もちろんよい想像とよくない想像があります。
塾に入ってよくなる部分はあります。でも塾に通っている時間だけでは足りず、越えられない壁のようなものも感じます。
ではなぜその壁ができるのかということですが、遺伝的な要素は否定できません。でもそれだけではありません。環境です。環境は作り出すことも変化させることもできます。そしてそれを与えてあげられるのは保護者様だけです。環境を与えても何も変わらないかもしれません。でも変わる可能性はあります。
どんな環境がよいのかというと、それは2つあります。
1つ目は「大人と対話する環境」です。
大人というのはほとんどがお父さん、お母さんになると思います。子どもとたくさん話をすることです。話す内容を考えることです。大人と話をするだけで、子どもにとっては勉強になります。子どもの声に耳を傾け、すくい上げることです。そうすることで知的好奇心が満たされます。
2つ目は「本を読む環境」です。
何でもいいです。興味がある物についての本を買ってあげることです。何冊でも。塾の1回の授業料より安いものの方が多いはずです。本嫌い、活字嫌いの子でも「これなら読める」というものがあるかもしれません。それを探してほしいです。しっかり読書ができる子は何も教えなくても国語が得意な子が多いです。
内容を覚えるぐらい何回も読むこともよいです。そして本の内容をしゃべらせることも大切です。しゃべることでアウトプットする力がつきますし、より記憶できます。
勉強が苦手な子は何も得意なことがないという子が多いです。でも何でもいいのでこれについては周りの子よりたくさん知っているというものがあれば、それが自信につながります。それは別に勉強に関係のないことでもよいです。
大してお金のかからないことだと思いますが、まだ難しい勉強を習う前の幼い頃からの積み重ねが越えられない壁を作るのだと思います。
2014年8/24(日)
基礎学力養成コース
みそら塾には小学生用のコースに基礎学力養成コースがあります。
コースのご案内にも記載しておりますが、平日17時半までなら何回来ても月額6,480円というコースです。内容は計算と漢字を一人ひとりの実力に合わせて指導していくというものです。
なぜこのコースを作ったのかというと、中学生や高校生を指導していてあまりにも計算力がない、漢字を知らないという現状を目の当たりにしてきたからです。
うちの生徒で市西や東に合格するような子でも「ちゃんと」計算ができる子などほとんどいません。逆に言うと「ちゃんと」計算ができる子は公立トップ校ぐらいは軽々合格できるということです。「ちゃんと」計算できなくても市西や東に合格することはできますが、高校に行ってから苦しみます。
「ちゃんと」というのはあいまいな表現ですね。「速く」「正確に」「効率よく」「正しいやり方で」ということです。よく式は合っているのに答えが出ないということがあります。そういう子は効率よく正しいやり方で解いていません。でも中学になるといくらこちらから「こうした方がいいよ。」と指導しても長年のクセが抜けないのでなかなかこちらのやり方を受け入れてもらえません。効率の悪いやり方でも易しい問題なら正解することの方が多いからです。でもそれでは時間がかかるし、間違う可能性も高まります。
何回も書いていることですが、計算が「ちゃんと」できもしないのに「文章題が苦手です。」と言われます。取り組む順番が違います。基礎基本の計算から順に積み上げていった方が最終的に伸びがよくなります。でも入塾時期が遅ければそんなことをしている余裕もありませんので、結局は「点数を上げる」、「志望校に合格させる」ための指導に特化せざるを得ません。
本当は計算方法を一から指導していきたいのです。そしてその時間があるのが小学生の時期です。この時期に計算力をつけておけば数学が苦手になることはまずありません。計算がちゃんとできなくても市西に合格できるのだから、当然もっとレベルの高いところも目指せます。
漢字にしても、漢字どころかカタカナの「シ」の書き方も知らない子がたくさんいます。この前も国語で「5」を取っている中3の子にカタカナの「シ」の書き方を教えてあげました。嘘ではありません。「シ」の書き方が間違っている子は本当にたくさんいます。保護者の方や学校の先生は気付かないのでしょうか。このページをご覧になられた保護者様は、是非、お子様に「シ」を書いてもらってください。
国語に関しても「読解力がない。」とよく言われます。でも漢字や言葉を知らないのに読解できるわけがありません。漢字が得意ではない子は漢字ばかりやったらよいのです。漢字が苦手な子は国語が苦手ですし、漢字が得意な子は国語が得意なことが多いです。
このような現状を見てきているので、基礎学力養成コースでこれらを徹底的にマスターさせたいと考えております。
基礎学力養成コースは授業料を低めに設定しております。よく「安いですね。」と言われます。安すぎて怪しいと思われるかもしれません。でも安くしている理由は「勉強が苦手になってからお越しいただくのではなく、小学校低学年という早い時期から見させていただきたい。」この思いだけです。まだ塾通いなど早いのではないかとお考えの方にこそお越しいただきたいと思っております。
この思いが通じたのか、去年までは人数が少なく、このコースはもう閉鎖しようかとも考えていたのですが、今年に入って一気に人数が増えました。しかもほとんどの子が一生懸命取り組んでくれております。黙々とやる姿を見ると将来がとても楽しみに思えます。普段は週2回か3回の子でも夏休みはほぼ毎日来てくれたりと、中3生の次によく顔を見せてくれております。夏休みに回数を増やしてお越しいただけるのはとてもうれしいことです。まだ入塾して数ケ月の子がほとんどですが、基礎からしっかり固めて、数学・国語を得意科目にしていきたいですね。
2014年1/28(火)
地頭
今年の中三生をみさせていただいて、地頭(じあたま)という言葉が頭に浮かんできました。その人本来の頭の良さというものでしょうか。今まで、「どのレベルの子でも成績を上げる」という理念のもとやってきましたので地頭という言葉を使ったことがありませんし、使いたくありませんでした。
実際、今までで一番伸びたのは3年前鳴尾に行った子です。うちに来る前は5計100点もありませんでした。しかし、努力の末、鳴尾高校に合格し(内申書は4が1つであとは全部3でした。)、そこでもトップレベルの成績を取るまでになりました。数学で学年1位も取りました。
また、同じ3年前に成績は5計400点あるかないかぐらいだった子が中3で入塾した途端、ぐんぐん上昇し、市立西宮東の数理科学科に合格し、現在医学部受験に向けて頑張っております。ちなみにお医者さんの子どもではありません。速報ですが、うちで受講していたセンター物理の結果は91点でした。
2人には失礼かもしれませんが、この2人の地頭がよいとは思っていません。ただ私が感動するぐらいの努力をしてくれました。だから私は、基本的にはまっとうな努力を続ければ報われるという考え方です。
ですが、今年はたいしてやっているようには見えないのに急激に成績を伸ばしている子がいます。本当に頭がいいなと思いますし、本気になればどこまで伸びるのだろうと思います。
こんな子に出会うと、地頭というものを認めざるを得ないのかなという考えが私の中でよぎりました。
学力は遺伝も影響するし、幼い頃からのしつけや教育にも左右されます。しかし、どのタイミングであれその子に合わせた指導をすれば伸びるという確信は得ています。
しかし、今までろくに勉強してこずに「2」ばかりだった子が、1年もしないうちに5計450点を超えるようになるとは想像ができませんでした。それだけの努力をすれば伸びるのかもしれませんが、そうは見えませんし、正直、そこまでうちの指導が影響しているとも思えません。でもその子を見ていて学習へのヒントが得られます。
それは、一度学習したことを忘れないということです。もちろん人間は忘れる生き物ですし、その子が何でもかんでも覚えているというわけではありません。でも記憶力が抜群によいのは確かです。何回もやらないと身につかない子と1回やれば身についてしまう子では伸び方が違うのは明らかです。ではなぜ覚えていられるのか?ということですが、「頭がいいから」と言ってしまっては元も子もないので考察してみます。
一つは「覚えるときに感情が動いていること」です。その子の「分かった。」には実感がこもっています。私も「あぁこの子は本当に分かったんだな。」と思います。感情が動いているときの記憶は長く続くものではないでしょうか。
もう一つは「覚えていないという状態を放置しない。」ということです。1回では理解できないこともあります。そのうち忘れてしまうこともあります。でもそれを放置せずにしっかりやり直しをしているのです。
多くの子はこれができていません。何回やれば身に付くかは人によります。5回やらなければ身につかない子は5回やらなければなりません。でもそれをしません。そりゃそうです。誰もそんなにしないからです。でも5回しなきゃ身につかないのであればしなければいけません。しなければせっかく教えた内容を完全に忘れてしまい、もう1回、一から教え直しということになります。人によっていつ身に付くかは個人差がありますがめんどくさがらずにやってくれれば伸びます。1回で身につく子もいるのに自分は何回もしなきゃいけない・・・。でもそこは地頭が違うんだと割り切らなければしょうがありません。
前述の医学部志望の子はまさにそんな子です。よく、「あいつ頭よすぎるわ~」とか、「こいつには勝てんわ~」とかぼやきながらも彼なりに努力を続けていました。
ちなみに「わかった。」に実感がこもっていたのは前述の鳴尾に行った子です。この子は分からなければ絶対に分かったとは言いませんでした。首を縦に振ってくれないので何度も説明しました。でも分かったと言ったときには本当に分かっていて、同じ間違えを何回も繰り返すことは少なかったです。
人の能力には個人差があります。「なんであの子はあんなに頭がいいんだろう。」「がんばってるのになんでこんな点しかとれないんだろう。」と思うこともあるでしょう。でも比較してもしょうがありません。時間がどれだけかかろうと、身についた分はしっかり点数にも反映されます。もういいやとあきらめてしまったら伸びません。一人一人に必要なことは与えていきますのでそれを地道に身につけていっていただけたらと思います。
2013年9/25(水)
カンニング
みなさんカンニングについてどうお考えでしょうか。
「大人になるまで一回もしたことがない!」という方もおられるでしょうが、過去の経験としてやったことのある方もおられるのではないでしょうか。
私にも経験があります。ただ経験上、間違いなくいえることがあります。カンニングは絶対に自分のためにならないということ。カンニングをして点数が上がったりしても、結局何の意味もありません。自分の実力から目をそむけ、楽な生き方を覚えるだけです。そしてそれは巡り巡って自分にとってよくない結果を招きます。
カンニングをする子の傾向に、そこそこ成績が良くて、親によく思われたい、ほめられたい、という願望を持っている子が多いように思われます。成績がよくない子はちょっとカンニングしただけでは、付け焼刃ですし、逆にカンニングをしすぎると、良すぎる点数のために疑われるし、毎回カンニングができるとも限らないので、結局やりません。また、カンニングをするにしてもばれないようにするずる賢さなどがないといけません。
やはりする子は平均以上にできる子に多いと思います。する子は小学校低学年ぐらいからしています。
カンニングをしているかどうかは教える側からすれば一目瞭然です。私は生徒の力を把握しています。その子の力では解けないと予想される問題が解けたり、いつもと違う雰囲気だったり。
でも当然ですが生徒はカンニングをしていないふりをします。追及しても認めません。これは非常に難しい問題です。まず、保護者は自分の子どもがカンニングをしているとは思っていません。そして私も証拠を突きつけてまで、追い詰めようとは思いません。一度問い詰めて、認めてくれて、その後しなくなったということがありますが、そのようなことは稀です。「カンニングをしても自分のためにならないということに気付いてほしいな」と思いながら接しております。
カンニングする原因の一端は保護者にもあると思います。結果に対してあれこれ言ってしまうと、「いい点をとらなきゃ」と思ってしまいます。結果がどうであれ経過に対してアドバイスをすれば子どもも前向きに取り組めるのではないのでしょうか。
ほめられることに慣れている子ほど、もっと褒められなきゃと思い行動もエスカレートしていきます。そしていつかカンニングでは賄いきれなくなるほど成績が悪化しますが、親はその原因に気づきません。
ほめることはいいことですが、ほめ方を間違えると間違った方向にいってしまうということです。逆に、ガミガミと言われ続けても、愚直に自分の実力でやりきろうとする子は尊敬に値します。
2013年9/12(木)
何で勉強しなきゃいけないの?
「なんで勉強しなければいけないの?」よく生徒に聞かれます。
逆に聞きたくなります。「勉強しなかったら何するの?」と。そう聞いて例えば「野球選手になるために野球をします」とかいうなら分かります。
でもそういう子はあまりいないです。
特に何もすることがないなら勉強すればいいんです。
子どもの頃から何か志を持っているのは素晴らしいです。何かに向かう強い意志があるなら勉強は大してしなくてもいいのかもしれません。たとえば歌手になるとか、何かの職人になるとか。一つのことをやり続ければ道がひらける可能性も高まることでしょう。
そういうものがないのなら勉強して損はありません。というより勉強しないと損をする可能性が高まります。今の日本のしくみを作ったのは勉強のできる人たちです。そのしくみは簡単には変わりません。仮に「来年から大学を全部なくします」とか、「大学には無試験で入れます」とか、「給料はみんな一緒にします」とか、「面接以外で採用したらいけません」とかいう社会になればいわゆる普通の勉強をする意味が薄れるのかもしれません。
でもそうはなりません。そういう社会になったら困る人がいるからです。何かが変わることによって、得をする人もいれば損をする人もいます。今豊かに暮らしている人、今の仕組みで利益を得ている人は変わることを望んでいません。だから仕組みというのは簡単には変わらないのです。
前置きが長くなりましたが、今の日本は勉強が得意な人が得をする可能性が高い世の中なのです。そしてそれはそう簡単には変わらないということです。
勉強が得意だからといってえらいとは思いません。でもこれからも日本で暮らしていくつもりならやっていて損はありません。勉強ができても得をしない国や地域もあります。そんなに嫌なら移住するのも一つの手です。
正直、「方程式をやる意味が分からない」とか、「岩石の名前を覚えて何になるん?」と言われればそれはそう思います。
でも「じゃあ他に何の勉強するの?」と聞いても何も返ってきません。
与えられた勉強をとりあえずやることで進路の幅は広がります。頭を使えば思考力、記憶力がつきます。学校で習うことが生きていく上で実際役に立つかなんて特に重要なことではありません。実際役に立つことしかしたくないのであれば、高校へは行かずに、役に立つ勉強をすればよいのです。学校で習う事はもちろん生きていく上で必要ということもありますが、それ以上に、「自分の選択肢を増やす」、「頭を使うための道具である」という認識でよいと思います。
勉強が得意でも就職できない人、豊かな暮らしができない人もたくさんいます。生きる上では勉強以上にコミュニケーション能力が必要です。二つの能力があれば最高ですが、一つでもあればまだよいです。
「勉強をすれば頭を使うことができる」、
「選択肢が広がる」、
「他にしたい勉強がないなら頭を使う手段としてやればよい」
ということです。
アリとキリギリスではないですが、「とにかくやりたくないからやらない」、「遊んでる方が楽しいから遊ぶ」というのでは、後々生きていくのに苦労すると思います。勉強だけがすべてではないので、やらないならやらないで何かに熱中していてほしいです。
2013年1/12(土)
体罰
大阪の高校で体罰が原因とされる自殺がありました。まさに「あってはならないこと」です。
体罰に対する私なりの考えを書きたいと思います。
まずなぜ今、体罰が起こっているかというと、昔、体罰が横行していたからでしょう。体罰というものが存在していたから、今もそれを行う人がいます。
人は2種類に分かれます。自分がされて嫌だったことを、「人にもする人」と「人にはしない人」とに。人にもする人というのは、嫌だったけどそれが「教育」だと思っているのでしょう。「嫌だったからほかの良い方法を考えよう」という思考を持たないのでしょう。これは何も師弟関係に限ったことではなく、先輩・後輩の関係にも言えることです。部活のしきたりとか何とかで自分が後輩の時は、先輩に嫌な目に合わされて、いざ自分が先輩になったら同じことを後輩に強いるという・・・。これはごくごく自然にあることだと思います。でも自分が嫌な思いをしたのであれば、自分は相手にしなければいいだけのことです。でも「自分がされたのだからするのが当たり前だ」と思ってしまうんですよね。だからなかなか悪しき風習というのはなくなりません。
私は体罰の程度にもよりますが、体罰そのものを否定しているわけではありません。相手との信頼関係があればそれによって伝わることもあると思います。それこそ、「体罰があったからこそ自分は成長できた」、「殴られたことはあったけどあの先生こそ自分の恩師だ」という大人もいるでしょう。そういう大人がいないのであれば、体罰はとっくに犯罪になっているはずです。しかし、「生徒がそれによって成長しない」、むしろ「心に傷を負ってしまう」以上、絶対にあってはならないことです。
重要なのは体罰を与える側の人間の「心が泣いているか」。そしてそれが「相手に伝わっているか」だと思います。体罰を与える側は体罰を与えなければならない状況に対して心を痛めなければなりません。それがなければただの暴力です。そしていくら心を痛め心の中では涙を流していてもそれが相手に伝わらなければ意味がありません。でもそれが相手に伝われば、生徒に手をあげるという行為も一つのコミュニケーションの手段になりえるのではないでしょうか。とはいうものの体罰に明確な定義はなく、その行いを「体罰」という言葉にしてしまった以上、一般的に認められるものではありません。手を一切出さない指導が理想です。手を出してそれを本人を含めた周囲が一人でも体罰だと感じるのなら、やはりそれはあってはならないことです。
一つの例ではありますが、生徒を軽く小突いたという行為を、生徒の側が「あぁ、悪いことをしてしまったな」と思うか、「一生忘れない傷になる」かです。同じ行為でも信頼関係によって全く逆の効果になると思うのです。
2012年12/12(水)
しつけ
私には子どもがいませんし、しつけに関して語る資格がないと思っています。ですから生徒や保護者様に対してしつけに関することなどあれこれ語ることはまずしません。でもいろんな子を見てきて思うこともありますので、これから少しずつ、書いていきたいと思います。
まず食べ物の好き嫌いに関してです。たまに小学生に嫌いなものを聞いたりしますが、まぁいろいろ出てきますね。「嫌いなものは残す。」否定はしませんが、やっぱり大人になって損するんじゃないかなぁ。
私は小さいころからごはんはプレートにのって一人前として出てきました。そしてプレートにのったものは残さず食べるのがルールでした。もちろん食べたくないものもありましたがそれを食べることによって我慢を覚える、また、食べ続けていると食べられるようになるかもしれない、いや、好きになってしまうかもしれない。
子どもの頃は、なんで好きなものをたくさん食べさせてくれないんだ、とか思ってましたが、今になって本当に感謝してます。子どもの頃はずっと嫌いだったものでも大人になって食べられるようになったものもたくさんあります。昔から食べることが好きでしたが、今はもっと好きです。
好き嫌いが多いからといって、その人の人格がどうとか一切思いませんが、何でも食べられた方がいろんな人に合わせることができるし、食べるという生きていくうえで欠かせないことを充実させることができると思います。
でもこれは本人の問題ではないんですよね。周りの大人たちに影響されます。
例えば箸の持ち方。おかしな人がいますが、物心がつくまえのことなんて本人の問題ではないんです。自分に子どもができたら、大人になって困らないようにしてあげたいなと思います。
2011年11/2(水)
基礎学力
このホームページでも再三、書いているかもしれませんが、基礎学力の大切さについて再度、訴えさせていただきます。
やはり数学を例にすると分かりやすいのですが、基本ができていないために、普段のテストでは80~90点以上を取るような子でも実力テストや模擬試験になると点数が半減するケースが多いです。
実力テストや模擬試験は定期テストに比べ難しいのは確かです。ですが、難しい問題ばかりなわけではありません。問題のレベルが5段階あるとすれば、それぞれの段階の問題が20%ずつまんべんなくちりばめられているものです。ですから、難易度中ぐらいの問題まで解ければ60点は取れるものです。それなのに、普段定期テストで90点取っている子が30点や40点しか取れないのです。
要するに、簡単な問題でさえ、いざという時に間違えるのです。
最近、西宮東の数理科学に通っている高1の子が言っていました。「最近やっと、大問1で間違えなくなった。」と。模擬試験の大問1は基礎レベルの問題が集まっている小問集合問題です。兵庫県の高校入試でも同様にあり、それだけで配点が約30点あります。
彼は中3の初めに入塾しましたが、それまで塾経験がなかったのもあり、基本が全くできていませんでした。それでも定期テストは5教科で400点近く取っていましたし、塾に入る前からそれなりに頑張っておりました。でも計算が10問あったら必ず1問か2問、間違えていましたし、小問集合問題でも全部正解することなどほぼありませんでした。
本人も間違えて悔しがっていましたし、できる問題を落としてしまっているという自覚はあったと思います。でもそれが1年かけても完全には改善されませんでした。高校に入学し半年たった今、ようやく基礎が完成されてきた感があります。それで先ほどの言葉が出たんだと思います。
彼のような努力を惜しまないような子でもたった1年で基礎を定着させるのは簡単なことではありません。だからこそ、みなさんにその意識を持って取り組んでもらいたいのです。基礎ができていないのに応用問題を教えようとしてもうまくいきません。でもみんな難しい問題を持ってきて、教えてほしいといいます。
そういう子は仮にその1問がわかったとしても、それが次にはつながりません。1週間もしたら同じ問題でも解けないでしょう。なぜなら、基礎ができていない子は応用問題を根本的に理解できないからです。いくら説明しても結局、解き方を暗記しようとしてしまいます。数学の問題など無数にあるのですから、解き方を暗記していたらきりがありません。文章題の言葉をちょっと変えたり、数字を少し変えただけで解けなくなってしまいます。
ではどうすれば基礎が定着するかですが、まず、基礎を理解したうえで、飽きるほど同系統の問題を解くことです。1,2問正解して終わりではなく、その問題なら何問やっても確実に正解するかを確認することです。それをしないと、すぐに基礎があやふやになってきます。1回や2回の経験でできるようになる子はまれです。たいていは飽きるほどやって定着するのです。ありきたりな例ですが九九も飽きるほど暗唱して覚えたと思います。
先ほどの東の数理の子も1年半かけてたくさんの量をこなしてきたから、ようやく今、定着してきて、簡単な問題を落とさなくなったのです。もともと頭がいいとかそういうことではないと思います。
2011年5/11(水)
しつけ
最近、暑くなってきました。この前まで、受験一色でめまぐるしい毎日でしたのに、ほんとうにあっという間です。私は昼過ぎから塾にこもっていますので、太陽が沈むのをほとんど目にしません。気づけばもう19時でも真っ暗ではないのですね。子どもの成長を見るのはうれしいのですが、時の流れがどんどん速くなっているような気がして、そこはつらいところです。
今まで小学生は全体的にすごくおとなしかったのですが、最近元気が良すぎですね。おとなしすぎて自分から質問をしない子より、どんどん質問する子のほうがいいですし、コミュニケーションをとるという意味ではよくしゃべるのはよいことですが、周りを気にせず好き勝手にしゃべるのは考えものです。
ある生徒さんに「5月11日、オープンスクールだから来て~」と言われていたのですが、さんざん迷った挙句、行かずにこれを書いております。学校の授業を見るのは参考になることも多いと思うのですが、やはり部外者が行くのはどうなんだろうという気がして・・・。部活動の試合や合唱コンクールなら数回、見に行ったことはあるのですが、教室を見学するのはだいぶ勇気がいります。
生徒4名ほどでも学力に差がある場合、すべての生徒を理解させ、学力をアップさせることは簡単ではないことなのに、30人以上の生徒を一度に教えるのはものすごく大変というか、不可能に近いのだろうなと思います。
もちろん学校の先生は指導要領に則って授業を進めるのでしょうが、余裕でついていける子、ちょうど良い子、全然ついていけない子、と出てきてしまうのは当然です。みんながおとなしくてもこのような「差」はできてしまうのに、それに加え、仲のいい友達同士が好き勝手にしゃべったり、自由気ままに発言したりという状況になった場合、どうなるでしょうか。当然、授業どころではなくなると思います。結局、先生は「しつけ」に追われ、授業が二の次になってしまうのではないでしょうか。
私は生徒を「しつけ」するつもりはありません。もちろん周囲に迷惑をかけていれば注意はしますし、小学校低学年なら多少、「しつけ」のようなこともします。しかし、高学年以上になればいいこと、悪いことの分別はつきます。「しつけ」というのは上下関係がはっきりしている場合に存在するものだと思います。「勉強を教える・教わる」という面においては先生と生徒という間柄ですが、それ以外の部分はフラットな関係でよいと思います。私は生徒を一人の人間として見ています。「~しなさい。」という言い方は一切しませんし、上からものをいいたくはありません。生徒さんにも「私は一人の人間として見られている。」という自覚を持ってもらいたいです。
2011年3/9(水)
算数について(特に小学校低学年の方へ)
最近、受験の追い込み、保護者面談、体験授業と全く気の休まる時間がない状況で日記の更新も滞っておりました。受験が終われば更新頻度を上げていこうと思っております。
算数についてですが、塾生にお渡ししている「みそら塾だより」にも記載した内容ですが、最近よく思うことですので、また書いてみます。
特に、体験授業に来られる方で多いのが、「算数・数学の文章問題が苦手なのでなんとかしたい。」というご意見です。みそら塾では小学校5年生から文章問題に徹底して取り組んでいきますが、小学校低学年のうちから不安になられている方も多くおられます。
例えばこんな問題があります。
「Aさんは10本えんぴつを持っています。Bさんは5本えんぴつを持っています。AさんはBさんの何倍えんぴつを持っていますか。」
という問題です。この問題は小学校3年、4年ぐらいでしたら解ける問題ですが、これが解けなかったからといって、特に問題があるとは思いません。
解ける方は10÷5=2 答え 2倍 とあっさり答えを出します。
でも同時に大きな問題を抱えることになります。こんな問題を繰り返しやっていると「大きい数字÷小さい数字をすれば答えがでるんだ」と思うようになってしまうのです。やればやるほど、問題も読まずに答えを出すようになってしまいます。
小5になって小数の割り算を習います。当然、「Aさんは5本えんぴつを持っています。Bさんは10本えんぴつを持っています。AさんはBさんの何倍えんぴつを持っていますか。」という問題も出てきます。
特に、小3、小4で10÷5=2 に慣れてきた子はここでつまずきます。なんで5÷10になるんだと・・・。
小さい数字÷大きい数字にどうしても違和感を感じてしまうようです。低学年のうちは順調に理解していっているようにみえる子でも、問題の本質は何も分かっていないということです。
だから、こういった問題は小数の計算までできるようになってからきっちり教える方がいいと思っております。
そこで重要になるのがもちろん計算力です。小数・分数を含めて6年内容までの計算をマスターしていれば、文章題に取り組む時間をたっぷりと取ることができます。いろんな計算方法を知った上で取り組めば、この問題ではこういう式になる、というように頭を使うようになります。
実際、文章問題が解けないと不安になられている方の多くが、計算でつまずいております。それか、計算はできると思っている方でも、ちょっと複雑になったらできなくなるという場合も多いです。
最近は、指導要領の改訂により、学校の授業スピードや難度が格段に上がっておりますが、まずは計算に関して、いつ、どこを聞かれても大丈夫なように常に復習を取り入れて確実にしていきます。しっかりした土台があれば文章問題など怖くはありません。
2011年2/1(火)
足が速い子
最近こんなことを考えます。小学生の頃の話です。足の速い子と遅い子がいます。足の速い子は何か特別な訓練を積んでいるから速いのでしょうか。
そうではないと思います。足の速い子は特に何もせずに速いのだと思います。そして、小学生の間、その順位にほとんど変動はありません。速い子はずっと速いし、遅い子はずっと遅いのです。毎年、リレーのアンカーを務めるのは同じ顔触れです。
陸上の経験などがない限り、小学生の時に足が速いのは才能だと思います。先生は速く走る方法など教えてくれません。足の遅い子も訓練をすればある程度速くはなると思います。でも、それをしないから、いつまでたっても足の速さの序列は変わりません。それに、足の速い子は運動を積極的にするので足の遅い子との差は縮まりません。
勉強も同じことがいえます。遺伝や幼児期の教育やしつけによって小学校1年のときには、すでに得意、不得意というのが明確になってきます。理解のスピード、計算能力、情報処理能力等、人それぞれです。
不得意なのは本人のせいではありません。本人が怠けたからできないのではありません。足の速さと同じように個人差があるのです。
足の速さの序列が変わらないように、勉強のできるできないも、放っておいたら変わるはずもありません。出来る子はできるし、出来ない子はできないままです。
その状態のまま、時間だけが過ぎ去っていきます。そうすると、もういくら努力しても追いつかないほどの差になっていきます。
50mのタイムが8秒の子と7秒の子ではいくら8秒の子が頑張ってもその差がひっくり返ることはないでしょう。
ですから、そうなる前に、手を打つ必要があります。みんなと同じことをしていてもだめです。
一人ひとりのレベル・個性に合わせた対応をしないと「差」は縮まりません。
出来る子と出来ない子が同じ授業を受けただけでは差が縮まるどころか広がる一方です。
その「差」を縮める、もしくは追い越すために、みそら塾はあるのだと思います。
みそら塾にはいろんな子がいます。勉強が得意な子、苦手な子、自宅学習を全くしてこなかった子。
もともと得意な子、積極的な子だけが集まったら、授業をする方としては楽です。
人との差を縮める、もしくは追い越す、ということは簡単なことではありません。自分が頑張ったとしても、周りも頑張っていたら、通常、順位に変動がないからです。
勉強が苦手だった子が、どんどん周りを追い抜いていく様子をみると本当に爽快です。見ていて気持ちいいです。なんでこんなに頑張れるの?と不思議に思ってしまうほど頑張っている子がいます。その姿は尊敬に値します。
その現場に立ち会うことができることをすごく幸せに感じます。
